思索記

ものを考える。詩。

気合を入れたらきっと

うだつの上がらない休日の始まりは、いつものことだ、と、いつからか考えなくなってしまった。何時に起きて、何をして、何を食べて、今に至るのか、わからない日が続いている。お腹が空いたので、冷蔵庫や戸棚を開け閉めしたが、手頃な食事が見当たらず、とりあえずタバコに火をつけた。天井をみつめる。散乱した生活の汚れから目を背けたくなったのかもしれない。ネットニュースで10代の自殺者数が過去最高になったと記事になっていたことがふと頭をよぎった。なんとかウィルスのせいなのか、不景気のせいか、理由はなんとでもなってしまうだろう。僕には関係のない話だと思ってしまうのは、心が貧しいからだろうか。豊かさに憧れを持っていたことも忘れている。登場人物の少ない物語になった人生、さよならって言葉が美しいのは、それだけの人物相関があるからなんだろう、などと孤独を自己愛で撫で回していると、人物相関の薄い僕には珍しく、高らかに携帯が声を上げた。知らない番号だ。出るべきか、出ないべきか、それが問題だ。僕は暇である。暇であり、孤独である。人の声が聞きたかった。

電話に出ると、若い男の声が矢継ぎ早に怪しい話を始めた。

「もしもし、山田さんのお電話でお間違い無いでしょうか?こちらは、未来の山田さんから、タイムネットワーク遺言サービスをご利用いただきましてご連絡しております、タイムマネーネットワークの佐和田と申します!」

電話の声は、幾分若すぎるのではないかと感じられるほどに、若い男のそれだった。話している内容も明らかに不審だったが、それをちょうどいい、と思えるくらいには退屈だった。

「タイムマネー、ネットワークですか?」

「左様でございます!声紋認証により、ご本人様確認が完了いたしました。ご説明のために、ただいまより山田様の脳内にいくつかの電気信号を送信いたします。また、しばらく昏睡状態となりますので、身の回りの安全を確保してください。それでは、送信を開始します!」

引き続き繰り出される話は不可解なわりにどこか本気の顔をしていて、なにか怖いな、と、思った、ときにはすでに遅かった。

 

*

気がつくとそこはロビンウィリアムズが診察をしていそうな茶味がかった壁の狭い部屋で、僕は若い男と向かい合って座っていた。窓が黄ばんでおり、年季の入った木の柱が見てとれた。

「お世話になります!早速ご説明に入りますね!」

元気よく話し始めた声で、目の前の男が電話をかけてきた人物だとわかった。声も若かったが、みてくれも随分と若く見える。着ているスーツが丈にあっておらず、伸びる身長に期待を寄せた、制服に着られている学生のようだった。男は、いぶかしむ僕のことを気にもせずに話を続けた。

「山田様は、今から60年後に、弊社のタイムネットワーク遺言サービスへご登録くださいました。それから山田様、あ、“未来の”山田様がですね、先日亡くなられましたので、サービス契約が発効しまして、遺言をお渡しに参った次第です。ご説明は以上です!それでは遺言をお伝えします。こちらへお進みください!」

男の話は、あの、と口を挟む暇もないほどに早々と、ざっくりとしており、何もわからない説明を切り上げ、席を立ってしまった。男はニコニコとしたまま、「こちらです!」と僕を促し、歩き出した。「あの、ちょっとわからないんですが、」と僕がようやく口を開くと、男は振り返り「こちらは、送信専用の佐和田です!ご返答は致しかねますのでご了承ください!」と笑顔で言うのだった。ふざけているのだろうか、と怒りを感じるには、状況があまりに不可解で、僕は、これを夢なんだと思うことにした(ベタにほっぺたをつねるなどしたが、しっかり痛かった。そういう夢もあるのだろうと思った)。

男について扉を抜けると、細く長く続く通路に出た。

「この先をまっすぐ進みますと、遺言を用意した山田様がお待ちです。それまで、そこに至る山田様の人生をお楽しみください!お好きな額縁を覗いていただければ、その時の山田様の人生をご覧いただけますよ!」

「額縁ですか」と僕が返すと「こちらは、送信専用の佐和田です!ご返答は致しかねますのでご了承ください!」と男はいう。そういうものらしい。額縁は通路の壁にところどころ、まばらにかかっており、それぞれに油絵と思われる絵画が額装されいるようだった。男が足早に進むので、ゆっくりと見る間もなく額縁を通り過ぎていったが、大きな背中が印象的な「2031年7月6日」の額縁に足をとめた。僕の誕生日だ、未来の。覗けばいいのか。どうやるんだ?、、と額縁の前で考えていると数メートルは先に進んでしまっている佐和田が足を止め、振り返った。

「回数は3回までとなっております。それでは、いってらっしゃい!」

 

*

どうやらやはり、夢らしいや。通路と佐和田がぐにゃりと曲がったかと思うと、そこには見慣れた街が広がり、僕は交差点の端に立っている。人垣が、僕の体をすり抜けて信号を渡っていく。そういうものらしい。ハリーポッターの世界に飛び込んだみたいだ、と思って、すこし楽しくなっていた。この場所は僕が通勤時に通る交差点で、平日は毎日渡っているのだが、なにせ人が多く、通勤時の僕を苦しめる場所だった。2031年7月6日。今から8年後の街並みには、大きな変化を感じるところはない。夢なんだから、もう少し味付けがあってもよくないか。夢だから、自分のユーモアの無さが投影されているのか、とまで考え出して思考することを止めた。夢の中まで憂鬱と追いかけっこする必要はないじゃないか。ところで未来の僕の人生を覗けるという設定らしいのだが、僕はどこにいるのだろうか。すり抜ける身体をつかって、ウロウロと探してみたが見つかりそうもなかった。僕は家に帰ってみることにした。8年後だから、僕がいれば33歳か。今でさえこれだけ退屈しているのだから、きっとより孤独で、寂しい人物になっているのだろうな、などとやはり僕らしく、憂鬱を飴玉のようにコロコロと口に含みながら、家路を辿った。僕の家は駅から徒歩15分ほどの場所にあり、古い2階建てのアパートで、階段があまりに錆びているので、服が擦れると汚れてしまうような、要するに、ボロ屋だった。交差点からはそれなりに遠いのだが、夢よろしく、歩き疲れることもなく、スタスタと進めたので、すぐに家にたどり着いた(ワープのようなことができるのではないかと思い、時々立ち止まり変な顔をしたりもしたが、ワープはできなかった)。錆のひどい階段を登る。僕の家だ。鍵は使わなくても入れるのに、ポケットに手を入れて鍵を探してしまった。誰もいなかったら、どうしていようか。扉を通り抜けた。

玄関に入ると、部屋から話し声が聞こえた。とうとうおかしくなって、独り言を延々と呟いているのかと思ったが、部屋に入ると、そこには幸せそうな僕と、幸せそうな女の人が小さなテーブルを囲んでいる姿があった。見慣れたはずの僕の部屋には、見慣れない女物の服やものが、当たり前のようにそこにあり、タバコをやめたのだろうか、灰皿やらライターの類だけが、全く見当たらなかった。女の方は知り合いでもないし、自分の理想を詰め込んだような人物でもない。それでも、二人はとても幸せそうに見えた。夢なのに、随分と現実味があるな、どんな話をしているのだろうか、と近づこうとしたところで突然、ぐにゃり、と視界が曲がった。

 

*

「いかがでしたか?回数は、あと2回です!」

佐和田が笑顔で話す。僕は細く長い通路に戻っていた。全然お楽しめていない。澤田の笑顔に腹が立った。佐和田は僕を気にする素振りもなく、また足早に歩き出した。2031年7月6日の額縁を過ぎると、8月、9月、と細かく刻まれた日付の額縁がしばらくならんでいた。先ほどの女性と並んでいる絵が多かった。今の僕からは想像もできない笑顔をした、僕の絵も書かれていた。歩きながら、僕は自分の手のひらを眺めていた。未来の自分であっても、「あの類い」の笑顔を見るのが辛かった。その目にはくすみがなく、断じて誰かや何かを排斥しているわけではないはずのその顔が、僕だけを除け者にしているように感じてしまう、その笑顔だった。僕自身も、昔はそんな顔ができていた気がするが、その顔を失った者だけを、見えないかのように笑うその顔を、僕はみられないでいた。しばらく、ただ歩いていたが、2038年6月26日を境に、次の額縁までの間隔が、大きく開いていることに気がついて、足を止めた。途切れはじめの額縁には、それまでの絵には当たり前のように書かれていたさっきの女の影が、すっぽりとなくなった、僕の部屋が描かれていた。

「2038年6月26日の額縁を覗かれて行きますか?」

さっきはいきなりだったのに、今度は佐和田が問いかけてきた。何があったのか知れるかもしれない、あれだけ幸せそうで、「あの類」の笑顔までするようになった僕が、この日どんな顔をしているのか見たくなった。

「お願いします」

僕がそう言うと、通路と佐和田はぐにゃりと曲がった。

 

*

 

僕はまた、交差点に立っていた。街並みは大きく変わっていた。人の多さは変わらないが、信号がなくなり、全員が黒いサングラスをかけ、まるで赤信号を待っているかのように立ち止まっていた。買い物をしている人の姿はなく、代わりに大きく丸い箱のような機械がビルを出たり入ったりしている。たった7年で、こんなに変わるものなのだろうか。ともかく、僕はまた部屋に戻ることにした。その道のりは先ほどとは大きく異なり、未来とはこういうものか、こんなに変わるのかと驚いていたが、家の錆びついた階段は変わらずに、よりボロボロになっているのを見て、なんだかすこしホッとした。玄関を通り抜け部屋に戻ると、そこには黒いサングラスをかけた僕が寝転んでいた。39歳か。前回の部屋と比べると随分と汚い部屋になり、絵画に書かれていた通り、女のものだけがすっかりとなくなっていた。今の僕の部屋の状態に戻った、とも言える。人と会わなければ、人が家にこなければ、僕はやはりこんなものなのだ。進歩がないな、と思った。寝転んでいる僕は、黒いサングラスが邪魔で、顔がよく見えない。39歳の僕は、どんな顔をしてるんだろう。近づこうとすると、ぐにゃり、と曲がった。

 

*

「いかがでしたか?回数は、あと1回です!」

いい加減に、本当に腹が立ってきた。あまりに若く見える佐和田の無邪気な笑顔が、馬鹿にしているようにしか見えない。同じ答えが返ってくるだろうと、なんとなくわかっていたが、感情に任せて僕は話し始めた。

「説明が足りないんじゃないですか?」

「こちらは、送信専用の佐和田です!ご返答は致しかねますのでご了承ください!」

「もう少し見てたかったし、戻ってくるタイミングもよくわからないし、何も楽しめてないんですけど」

「こちらは、送信専用の佐和田です!ご返答は致しかねますのでご了承ください!」

「返信できる佐和田はいないんですか?」

「こちらは、送信専用の佐和田です!ご返答は致しかねますのでご了承ください!ただし」

佐和田が真顔になった。

「ご返信をご希望される方は、こちらの通路へお進みいただくと、お問い合わせ対応の佐和田がご案内させていただきます」

一本道だったはずの通路に、また一本、脇道ができていた。

「進みます」

そう言って僕は、開いた通路の方へ進み出した。

 

*

 

通路は100mほどで、何もない広い部屋に繋がっていた。そこでは同じ顔をしているが、笑顔のない佐和田がたくさん動き回っており、なにやら急いでいるかのように右往左往していた。

「あの!佐和田さんに案内されたんですけど」

近くを通り過ぎようとした佐和田を呼び止めた。

「ただいま大変混み合っておりますので、そのまましばらくお待ちください」

真顔の佐和田は止まりもせずに答えた。よくみると、他の佐和田も皆同じ言葉をブツブツとつぶやいている。

「ただいま大変混み合っておりますので、そのまましばらくお待ちください」

僕は少し怖くなって、引き返そうとしたが、きたはずの通路が閉じてしまっていた。いよいよホラーな展開になったな、コントロールできる類の夢じゃないらしい。本当に怖い気持ちになっていたが、これは夢だ、と思うことで落ち着きを取り戻そうとしていた。すると

「お問い合わせありがとうございます。ただいまご案内が可能となりましたので、こちらへお進みください」

後ろから真顔の佐和田が話しかけてきた。佐和田は真顔のまま、やはり何か急いでいるように、広い部屋の端に向かってすたすたと歩き出した。僕は少し遅れてついていった。端に着くと、大きな扉が現れ、ギギギ、と開いた。扉の向こうには、さっきの部屋の何倍も広く、そして何もない部屋に、黒いサングラスをかけた男が、真っ白な椅子に座っていた。

「タイムマネーネットワークの藤田です。ご用件は?」

部屋の男は、これまでの無機質な佐和田と違い、突然人間くさい、現実味のある雰囲気を感じさせた。状況の変化に動揺して、額縁の話を忘れて問いかけた。

「あの、これって僕の夢ですよね?」

「あー、なるほど。山田さん、システムエラーですね。申し訳ありません。こちらで対応しますんで、ちょっと待っててくださいね」

藤田と名乗る男は白い椅子に座ったまま何もない方へ振り返り、両手を広げて空中でなにか操作するように指を動かし始めた。

「あの、夢、ですよね?」

「あーいや、夢じゃないですね。現実ですよ。佐和田の説明が早かったでしょう。たぶん3倍くらいのスピードになってたでしょうね。直近で2件、起こってるんですよ、同じようなエラーがね。」

藤田は淡々と、こちらを振り返りもせずに返答を続けた。

「まあウチも大手じゃないですから、保証も保険もないですよって、安くやらせてもらってますからね。文句つけられても、そりゃ未来のあなたが了承してることですからね、僕らに言われても困りますから。」

何を言っているのか全くわからなかったが、僕の夢にしては、随分と凝った設定だな、と納得するしかなかった。それほどに、藤田はあまりに現実だった。

「とりあえず、走馬システムだけ修正しときましたんで。覗けば入れるし、出たいと思ったタイミングで出られるようになりましたよ。回数はあと1回です。クレームは面倒なのでやめてくださいね。」

藤田がそういって振り返り、空中に人差し指を突き出したと思ったら、僕は最初の細く長い通路に戻っていた。

 

*

「お問い合わせ、ありがとうございました!お悩みは解決しましたか?それでは、引き続きご案内いたします!」

相変わらず腹の立つほど元気な笑顔を貼り付けた佐和田が僕の案内を再開する。藤田と名乗る男や、たくさんの真顔の佐和田のことをまだ受け入れられていなかったが、藤田の最後の言葉が本当なら、ともかく好きなだけ自分の未来を見られるようになっているはずだ。回数はあと1回らしい。落ち着いて考えると、随分とお粗末な対応だったが、設定で言えば未来の僕本人が了承して申し込んだということだし、文句を言っても仕方がない。すこし歩くと、細く長い道の先に、出口らしい光が見えてきて、もうすぐ、道が終わるのだとわかった。額縁の間隔はずいぶんと大きくなっていて、100mほどある出口までにあと、2枚しか見当たらなかった。「2079年6月2日」の額縁には、皺だらけになった僕の手が描かれていた。その額縁を通り過ぎ、「2082年9月24日」最後の一枚を覗くことにした。

 

*

僕は交差点ではなく、どこかの病院の待合にいた。どこの病院かもわからない。59年後、僕は入院しているのか。病室を探せばきっと、僕がいるのだろう。すり抜ける身体を使って、僕は僕を探し始めた。病室には、ベッドが隙間なく詰められており、お世辞にもまともな環境とは言えなかった。時折り隣り合った患者どうしが、何やら喧嘩をしている様子が見えたが、それを止めに入るような者はいなかった。こんなところに、僕は入院しているのか。すり抜ける疲れない身体のおかげで、そう時間のかからないうちに、僕は「山田耕史」の名前を見つけた。面影はあるものの、流石に年齢が離れ過ぎているため、名前がなければ僕だと見つけられなかったかもしれない。僕は、ギチギチに詰まったベッドの、左から2番目に腰掛け、窓の外を見ていた。悲しい目をしていた。くたびれた僕をしばらく観察していたが、僕ただ窓の外を眺め、ひょっとすると目を瞑り、また窓を見つめるだけで、見ていて面白いものが何もなかった。これだけ歳をとっていると、これまでみた未来の僕とは違い、他人の老人を観察している気持ちになった。寂しそうな老人にみえた。折角好きなタイミングで帰れるようになったのに、すぐに帰ってはもったいないような気がして、もしかしたら誰かが見舞いに来るかもしれない、などと期待して、それから3日、1週間、1ヶ月と病院に居座った。だけど、その間ずっと、誰かと連絡を取ったり、誰かが見舞いに来るようなことはなかった。起きて、食事を取り、窓の外を見つめ、眠るだけだった。それでいて平気でいてくれれば良かったのだが、窓の外を見つめる僕の目は、やはり、悲しい目をしているのだった。僕は、戻ろう、と思った。

 

*

 

「いかがでしたか?回数は、あと0回です!」

笑顔の佐和田に安堵した。それほどに、2082年の僕と過ごした時間は、薄暗かったのだ。今の僕と変わらない色で。出口まで、あと少し進むだけだが、あの状態の僕が、今の僕にどんな言葉を残すつもりなのだろう、残すことができるのだろう。

「まもなく到着です!私の案内はここまでとなります。ありがとうございました!」

佐和田は笑顔で僕を送り出した。

 

*

出口を抜けると、広い部屋に、ベッドに腰掛けた僕がいた。僕ははっきりとした声で、遺言を話し始めた。

「僕は間も無く死ぬ。2037年、技術的特異点がやってきて、時代はまったく変わってしまった。額縁で、黒いサングラスを見たかい?街も大きく変わっていただろう。特出した技術は僕たちの生活を簡単に変えてしまう。それまで、なんとなくで許されたことが、許されなくなってしまった。過去は全てデータにされ、良いも悪いも数値になり管理されるようになった。未来は、そのデータから確定し得る未来として推測されるようになった。小さな間違いや失敗も全て管理され、本当に優秀な人でなければ、まともな仕事はなくなった。なんとなく、何と無くで生きてきた僕にとって、あるいは僕のような人間にとって、最初はなんとなく大丈夫だろう、受け入れられるものだろうと思われていた。けれど、そんなことはなかった。僕は仕事がなくなった。そんな僕を好きでいてくれた彼女にも、愛想をつかされるほどに、僕はなんとなく、を繰り返した。時代が変わったからだと、そのせいにしたかったけれど、何かがなくても、全て同じことだったのかもしれない、と今ではそう思っている。もう、遅かったんだ。『気合を入れたらきっと』なんでもできると思っていた。気合いを入れてもどうにもならないことを知るまでは。気合を入れてお金を貯めたよ、80歳を超えてから。お金を貯め始めてからようやく気合が入ったとも言えるかもしれない。それらはすごく瑣末なことだった。大きくは変わらないよ。死ぬ今このときまで僕は僕だし、きっと今の僕を昔の君は惨めに思ったかもしれない。どの額縁を見られたか、わからないけれど。外から僕は惨めかもしれないけれど、少なくとも、このサービスを利用するだけの金を、80を超えてからこさえたんだ、それだけで良かったよ。今の君は、退屈してるだろうし、孤独だろうけど、『気合を入れたらきっと』全部なんとかなると思っているだろうね。もしかしたらそうなるかもしれないし、ならないかもしれない、その曖昧さを維持することに一生懸命になるために、退屈なフリをしていたはずが、いつからか退屈だから曖昧になっているのか、曖昧だから退屈なのかわからなくなってしまっているはずだ。そして、決まって、『気合いを入れたらきっと』、これだ。なんとなく、は突然に終わる。きっと、はどこまでいってもきっと、なんだよ。もしかしたら、それで良かったのかもしれない。それでも今話していることは、『きっと』ではなく、『たしかに』あるものなんだ、そうでしょう。『きっと』か『たしかに』か、それが問題で、『気合い』なんてどうでもよかったんだよ。今を生きるってのは、たしかに、を増やしていくことなんだよ。右足を一本、前に出すと、そこは地面が崩れるかもしれない、どこにも続いていないかもしれない、輝かしい未来に繋がっているかもしれない、『きっと』。それをたしかにするには、右足を一本出す他に、なかったんだよな。言葉で動く人間を信用してはいけない。言葉は『きっと』だから。遺言サービスじゃ、『きっと』しか伝えられない。確かに、できるのは今の君だけなんだよ。ああ、そろそろ時間みたいだ。大手のサービスだったら、もっと長い時間、『きっと』を伝えられたけれど、やっぱり遅かった。これが僕の『たしか』だったんだな。できるなら、君にはもっとたしかに、生きてほしい。僕はここで終わりだけれど、君はたしかに、そこにいるのだから。」

 

僕は話し終えると、やはりすこし悲しそうな目をして、そうして、消えてしまった。広い部屋が、ぐにゃり、と曲がった。

 

*

 

気がつくと、僕は椅子から転げ落ちていた。吸いかけだったタバコの火は消えており、「サービスです。藤田」とメモが残っていた。転げ落ちた時にぶつけたのだろう、僕の身体が『たしかに』痛みを感じていた。