思索記

ものを考える。詩。

自分に向き合うために、持つべき視点を考える。

下記は、自身の体験の備忘録であり、告白であり、同じ石に足をひっかけて転げて、痛いしイタい、同胞へ捧げます。

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その目的が否定することなら、ただの加害だが、端的に汚さ、弱さを伝えるのは愛だと思う。

「そのままでもいいんだけど、あんたってさ、」って感じ。

 

媚を売るという行為は、他人をコントロールする目的を持っていて、ベクトルが自分に向いていない。「これでいいでしょ?こんなんでどうっすか?いいでしょ?わかるよね?」の態度。

 

「仲間になりたそうに、こっち見てるだけのフリして<仲間にする>を選択させようとしてくる」みたいな。

 

対人関係に置いて媚を売るのは、汚さ、弱さを他人に触らせまいとしているからだ。

そのときは、自身の汚さ、弱さに向き合えていない。つまり、自分を愛せていない。

 

弱さを受け入れられず、逃げ出さんとしている自分のとなりに、媚び売り担当のヘラヘラした自分の分身が現れて、「こいつもわかってるんすよ〜!わかってるんスけどね(笑)本当にごめんなさいね〜申し訳ないと思ってます!ね!許してやってくださいよ(笑)」って言ってる。

 

媚び売ってれば、自分に向き合わなくていいし、必要以上に他人からつつかれるリスクも減らせる(と売ってる本人は思っている)。その構図が見えている人には、滑稽に見えるし、敬遠されるだろうな。

 

渦中、当人は無自覚に必死なんだ。

というか、僕がそうだった(そうである)。

 

自己啓発本と呼ばれる、迷い人をお客様に商売してるあらゆる本には、

「主体的に生きる」「他人の目を気にしない」

「自分の目的を持つ/自分の軸を持つ」

などと書いてあって、なるほど確かに、そうだよな、と“わかったつもり”になってはみたものの、全然できない。

“わかってるのに”うまくいかない。

そう思ってモヤモヤしていた。

モヤモヤしすぎてたくさん本も買ってしまった(出版業界へ微々たる貢献。紙媒体は無くならないでください。)

 

電車に乗っていて、そのモヤモヤの根っこを取り除きたくて、モゾモゾと脳みそを動かしていたとき、さっきの構図が閃いた。

 

そうか、あらゆる自分の汚さ、弱さの根源的な部分が、それなんじゃないか。

自分に向き合うべきだ、向き合いたいと言いながら、結局大事なところで逃げていたんだ。

全自動他人に媚び売り機になってしまう原因は、逃げていたからだ。怖かったからだ。

と思った。

そのときようやく、自分がみっともないこと、弱いこと、情けないことを認めることができた気がした(それでも気づいたらまた媚び売り君は出てくる。本当にしつこい)。

 

いざ、自分のみっともなさを直視してみると

残酷で、素直に、自分はみっともないのだけど、すこし清々しい気分だった。

 

外野を、他人を気にするための

媚び売り君がいなくなって、

等身大の自分の姿がはっきりと鏡にうつるような感じ。

 

幽霊がいるんじゃねーかと思って、

ビクビクしてた部屋の隅っこに、

電気つけたらなんもねーじゃんか。みたいな。

 

ああそうか、怖かったんだよな、精一杯だったんだな、すごくかっこ悪いけどね。

でも、やっと見てくれて嬉しいよ、

ようやくスタートラインだね。

 

どうする?変わんの?このままでいんの?

好きにできるよ、自分のことなんだから。

そんな風に自分に言ってやれる土壌が、

自分の中にできた瞬間だった。

 

そのとき、媚び売り君の仕事が無くなった。

他人なんて基本、それぞれの正しさで生きていて、好き勝手言うんだから。

正しいことを言ってくれることも、

間違ったことを言ってくることもあるし、

それは自分も同じだし、他人も同じ。

 

そんなもの気にしてもしなくても、

結局テメエが何するか、どうするかには

大して関係しないから

 

弱い自分のまま、平気で

外野には好きにしてもらって。

 

自分の話になってごちゃごちゃしたけれど、

 

つまるところ、

自分と向き合うためには

「他人に媚売ってないか?」の視点を持つこと。

 

売ってしまっているときは

逃げてるんだな、怖いんだな、

自分に向き合えてないんだな、と理解すること。

 

そして、

飛び込む、自分に挑戦する、

自分を愛せなければ、楽しいことも、気持ちいいことも少なくなってしまうから、

媚び売るって相手に失礼だから、

自分の人生他人に任せる態度だから、

不自由だから、

そんで思ったより、怖くないから。

 

僕はどうなるかわからんけど、そんな風に思った日を忘れたくないのと

同じような感じの状態の的な人が、いるような気がして、そんな情けない、愛すべき同胞によんでもらえたらと思っている

 

書いててまとまりがなくなってきたので終わる。