思索記

ものを考える。詩。

24歳

人生の都合、歳上の他人と話す機会が多かった。17歳の頃からそんな風だったから、会う大人、会う大人に「若い!」と言われた。最初は年齢より大人に見られていて、「そんなに若いとは思わなかった、大人びてるね」と言われてるんだと思って、なんだか嬉しいような、それでいて馬鹿にされているんじゃないかと悔しいような、色んなことを考えさせる言葉だった。17歳。19歳になると、若いことを前提に、心を打つ「何か」示さなければ「若い!」と言われなくなって、同世代や歳下の才能やらに嫉妬していた、そして、それを自覚しないように必死に自分を誤魔化した。21歳になると、もう一度「ただ若い」だけで「若い!」と言われることが多くなった。この辺りで「気づく」べきだったけど、僕は19歳みたいなままの21歳だった。そこら辺で僕の人間は停滞したまま、気がつけば3年が経ち、24歳になった。もう「若い!」と言われることは、くだらない会話のきっかけ程度の、シケたイベントでしかなくなった。それはそう、世代で言えば25歳の代で、もうアラウンドサーティーなんだって自嘲し始める者が、同世代にでてきた歳だ。一緒に住んでいる彼女と結婚するんだと、友人が真面目な顔で話す光景に違和感のなくなった、1998年生まれ、平成がゆっくりと歴史になっていくのを感じている、いま、24歳。

 

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先週、人生で初めて「相席屋」に行った。僕は自分が、「女の子が大好き」なのかどうかもわからないまま24歳になった。自分から逃げて、他人から逃げて、逃げて逃げて生きていることの弊害だ。札幌の先輩(お前なんか後輩じゃねえよ、と言われそうだし、その通りだと思うが、いったんご勘弁願いたい。)に言わせれば、「色んなことに対して童貞なベイビーちゃん。」なのである。あの人たちは、「そんなもんだよ」ってしたり顔で言わないから好きだ。外れてきたが、相席屋の話だった。自分は何が好きで、何が嫌いなのか、わからないまま気持ちの悪いモンスターになりつつある自覚を横目に、友達と川辺でバーベキューをした後に、ノリで行った相席屋。行ったことがなかったから行きたかったのか、女の子とどうこうしたくて行ったのか、わからなくて、どうしたらいいかわからないモヤモヤモンスターの脳みそを積んだまま、とにかく自分はちんぽこである、ちんぽこに従い、下品な下心を持って遊びに行くんだ、口説きたおして遊んでやるぜ、ベイベー、とマインドを決意させて、相席屋の席に着いた。ほどなくして、2人の女の子が僕らの席にやってきた。童貞でベイビーちゃんな僕は、明らかに歳下なんだろうと察した上で、着席前の決意もむなしく、THE 童貞な敬語を使ったカタコトコミュニケーションしかできずにいた。2人の女の子のうちの一人は(以後「さくらちゃん(仮)」とする。直近でこれまた初めて寅さんの1話をしっかりみたので、思いついた名前だが、寅さんのさくらちゃんに失礼な気がするので、「Aちゃん(仮)」に変更する。)、夜のお店に慣れているようで、物怖じしない態度で話していた。最初は「ニート」と自称していたのに、のちに「ニュークラブ」というところで働いていることがわかった。夜の会話のリズムだ。逃げたい。モジモジした僕のカタコトコミュニケーションに対して、スパッと、「こういうところでは、敬語よりタメ語で話したほうがよくない?こっちも歳上に敬語で話しなさいとか言われるの嫌だし。」と言われた。随分優しい言葉だと思った。僕は、「すんません、色々教えてください姐さん!」と言って誤魔化そうとしたら、「歳下に姐さんって意味がわからないし」とぶん殴られ、2秒くらい天使が通り過ぎる時間が生まれた。かくして、かくべく恥をかいた。この手の恥の童貞を捨てられたのでよしとする。先輩、俺一個大人になりました。

 

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姐さんの一言に柔軟で素直な対応力を発揮した僕は、ゆっくりとタメ口での「社会的コミュニケーション feat.夜のお店のリズム」を歌うことができるようになっていった。場も緩やかに盛り上がり、いろいろな会話をした。女の子たちは、20歳だった。折々、18、19歳くらいの歳下の人間に対して、「若い!」と口走っては、その発言に至る自分の軽薄さに辟易し、反省をしていたので、20歳だとか、2002年生まれだとかってことに対してはもう何も感じなくなっていた。そこで聞けた1番のおもしろかった話はここには書けないので、ご友人、お知り合いには会ったときに話すものであるが、2番目に面白かったのは、「ジェネレーションギャップの体験」であった。25歳と20歳。近いのは数字だけで、感覚や言語には大きな隔たりがある、それを僕は知らなかった、体験した。24歳。塾で働いたことがあって、小、中、高生とは関わったから、ジェネレーションギャップなんてわかったつもりでいたが、初めて体験したのはこの時だと思う。何の流れで出したのかは恥を上塗りするから書きたくないのだが、「ブルース」という言葉を、自然に僕はテーブルにあげた(少なくとも、ブルースそのもの、それを愛している人たちに失礼な扱いはしなかったのでご容赦願いたい)。そのとき女の子が「ブルースってなんですか?」と言うから、ああ、夜のリズムね、くっだらねーと思いつつ、「ブルースってなんですかはやりすぎでしょ」と言ったのだが、それを受けて、大人だったはずの姐さんも、その友達の女の子もきょとんとして、「マジでブルースってなに?」と返してきたのであった。ほんとに驚いて、大袈裟なくらい確認したのだけれど、「ブルースをきいたことがない」などではなく、「ブルース」が音楽ジャンルの名称である、ということ自体を知らなかったというのである。音楽の教科書にも書いてあるのに、大学に入学した頭があってそれを知らないなんて驚きだと随分失礼なことも言ったが、あまりに僕が本当に驚いている様子をみて、歳下に「かわいい」と言われた。僕は女の子が好きなのかもしれない(いや、好きだ。)。そういう話じゃなかった。「ブルース」という言葉自体が脳みそにないのか、、とぽかんとしていると、姐さんが「ジェネギャだよジェネギャ」といって、場がアハハ、となった。僕はアハハができなかった。そんな様子をみていた友人兼心の師匠である前職の後輩サトーくん(2個下)に、「いや、マジっすよ。知ってるやつが知ってるってだけで、俺の世代もこんなもんっす」と言われて、僕は心の中の白い部屋で、「ジェネギャ、、、、」とつぶやく。ジェネレーションギャップの体験であった。

 

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24歳の記録。先輩のことばたちが蓄積しつつ、怠惰に生きて、失われていく感受性が感動に引き戻されては、また怠惰な暮らしに戻る24歳のワタクシ、ライブハウスですれ違った同い年の人たちの曲がUSENでかかることに何も感じない、過ごした平成がゆっくりと歴史になっていく、「なう」が死語になった世界線、遠く離れた友人たちは世代について何を感じているんやろか、僕は結局何が好きなんやろか、わからん、24歳、今度ハイロウズの14歳をまるパクリして、24歳っていう曲をやりたいな、1人で、誰にも見せずに、うん、24歳。

千葉くんとバンドがやりてえよ。早く帰ってきてくれ、24歳。

洒落、洒落、わからん、ださい、ださい、わからん、24歳。

 

24歳!