思索記

ものを考える。詩。

エンターテイメントについて

憂鬱な気分を言い訳にしてうちに引きこもることが自分の性分だと認めたくはないが、手前勝手にそのように振る舞うことで、掴めていたはずのたくさんの何かや誰かが、確かに僕の手をすり抜けて落ちていった。根底のナルシズムと向き合うことは怖い。弱いまま齢24になった。そんな僕はひどく疲れたとき、あたまに沢山の情報を詰め込む。そうしていれば何も考えなくて済むからだ。YouTubeを開いてチラ見しながら窓辺のラジカセでFMを流し、足場のないゴミ部屋でごはんを食べながら、スマホとswitchで同時に違うゲームをする。何も考えていないのだから、情報たちは右から左へ流れてなに一つ残らない。憂鬱をゆっくりと引き伸ばしてくれるだけなのであった。反対に、疲れが癒えるのは漫画を読むかいいライブを観たときである。ここでエンターテイメントの話になる。「あ〜、何もしたくないんだ〜ぼかぁ〜、誰か殺してくれ!ねえキルミーベイベー!殺してくれ!考えすぎて生きるのも嫌になったよ、ロンググッドバイ、なくしてからじゃもう気付いても遅いけれど!」状態になった先週くらいの土曜日、食欲もなく、YouTubeやラジオもうるさいし、ゲームをする気にもなれなかった。一日のほとんどを布団の上で過ごしたものの、ずっと寝続けることはできない。散歩へ出たり、部屋を片付けるなりすべきじゃないか?それが正解なんだろう?褒めてくれよ、先生、俺ちゃんとやってるよ、とか考えながらウジウジとゴキブリになっていた。外に出ないから肌は黒くない。白光りするG。いやもっと卑しい。卑光するG。考えることをしたくなくて、Gは漫画をよんだ(ここまでゴキブリさんに失礼な表現であった。虫だからといって迫害していいのか?令和だしな。そもそもゴキブリの方が宇宙規模では先輩であるからして、ここに謝罪する)。LINE漫画では沢山の漫画を購入している。その時は西森博之先生の「鋼鉄の華っ柱」を読んでいた。10周目くらいになる。たくさん助けてもらった。漫画を読むことで疲れが取れるのはなんでなんだろうか、なんて考えたわけじゃないのに、答えが先に降ってきた。エンターテイメントだ!救いの手、エンターテイメント。又の名を宗教。又の名をドラッグ(ほとんど何も知らないドラッグ、と言う表現を使うあたりが薄っぺらくてきらい。パワーのあるワードだから消さない)。又の名を恋愛、又の名を飲み会、又の名をライブハウス、いいライブ。舐達磨のバダサイがインタビューで言っていた。「生み出すことって、いいことじゃないですか」と、僕にはわからなかった。人助けっていいことじゃないですか、って軽薄に言うクソガキみたいな自分の一面を脳裏に浮かべたけれど、バダサイが軽薄には見えなかった。何か核心(確信)めいた発言だったので、わからないけど頭に引っかかっていた。生み出すっていいことじゃないですか、それは、エンターテイメントを生み出すってことなんじゃないか。救いの手なんじゃないか。子はかすがい。産んだからって救われるわけじゃないけれど。藤本タツキが神様に思えたチェンソーマンの連載(ジャンプ本誌)時、毎週の月曜日が輝いていた。ルックバックを読んだ時は絶頂した。エンターテイメント!全てを吸い込む非現実、ファンタジー。ドキュメンタリーはエンターテイメントでしょうか。否。ドキュメンタリー“風”なものはエンターテイメントだろう。というかドキュメンタリーなんてない。虚構のない制作物なんてあるわけない。目の前の現実だけがドキュメンタリーなのである。他は全部エンターテイメント。話していて楽しい人は好かれる。楽しい時間を生み出しているからだ。僕は普段の生活では対極にいるもんだから(嫌われないように喋ろうとしかしない、つまらない)、こうやって物を書いて少しでもエンターテイメントを生み出したいわけだけれど、どうなんだ。話が脱線した。漫画はステージの上で歌っているのと同じで、非現実の空間でなにか表現をしている。真面目なことを真面目な顔でまじめに話していることに、何の意味があるんだ。手術中の医者じゃないんだから。お医者さんが不真面目だと困る。困るけどおもしろい。「ファック!このアマ、最高にビッチだぜ!」と言いながらオスのゴールデンレトリバーの手術をする獣医。8時間に及ぶ大手術を終え、飼い主へ一言。「手術は1時間で終わり、あとは寝ていました。眠かったので。(ミスターダムandダマーのジムキャリーで再生してほしい。)」不真面目!エンターテイメント。日々をエンターテイメントしないといけないと思った次第であった。エンターテイメントでないものを否定しているつもりはないのであしからず。むしろ、ドキュメンタリーを誠実に生きれば生きるほど、エンターテイメントが映えるのだろ。つまらん生活しててもインスタグラムが輝いていればお金が稼げるように、生み出すものは強いんだ。虚構だけれど、嫌われるけれど、それがエンターテイメントなんじゃないか。強く打ち出してふざける。だってまともに生きるには、この世界は残酷すぎるじゃないか、なあ、エレン。俺が始めた物語じゃないのにな。漫画はエンターテイメントなんだ、ライブと同じなんだ、飲み屋の人たちもエンターテイメントなんだ、仕事もエンターテイメントなんだ、暇に殺されそうな現代人の救い。すべてのものはエンターテイメントで、すべてのものはドキュメンタリーなのであった。結局は脳みその出力の話なんだろう?池谷先生!養老先生!教えてください!

養老先生「最近の人はね、なんでも教えてくださいって言うんですよ。自分の頭で考えない。答えがあると思っテンですよ。じゃあお前、陣痛の痛さを口で説明したらわかるのか?って言ってやるとね、云々カンヌン。」

すみませんでした、、、、

虚構を理解するのはドキュメンタリーな脳であるから、一生懸命に現実を生きれば生きるほど、エンターテイメントを楽しむことができるのだろう、と、思ったのでした。

みなさんは、エンターテイメントってなんだと思いますか?(これは大喜利ですので、まじめに考えないこと。)

ではアディオス・ア・ミンゴ。