【なぜ憂鬱を考えるのか】
憂鬱な気分と怠惰にまみれ、自責の念を言い訳に、生活が酷い有り様である。
最近どころか、何度も繰り返しているので、物心ついてからずっと憂鬱な気分であるとも言える。
寝る、タバコを吸う、だらだらとSNSやYouTubeに浸る、歯を磨くのも、シャワーを浴びるのも、出かけるのも、起き上がることさえままならない。
腹が減れば飯を食い、排便がうまくなく下痢もする。
私は、人生に必要の無いことなどないと思っている。だから、鬱々とした非生産的、自己破壊的な生活が全くない生き方がしたいわけではない。
しかしそれは、自己との対話によって、
「どのように、何をして生きていくのか」と志を持つことが前提である。
その志に対して逆らってしまうことはしたくない。
だから、憂鬱を理解し、自分の憂鬱とうまく付き合っていけるようになりたい。そのために考えていく。
【どんな憂鬱を考えるのか】
ひとことで憂鬱と言っても、憂鬱は多義的である以上、全ての憂鬱に対処できる万能な対処法などない。
しかし、私が目の前で抱えているこの憂鬱は、私という個人が持つ、1ケースであるから、分析し、対処を講じることができるだろうと思う。なので、
今回は、私という一個人の憂鬱について、
1:憂鬱な気分の正体とはなにか
2:どうすればそこから抜け出せるのか
の2点を考える。
1【憂鬱とはなにか】
憂鬱な気分はこの4要素からなる。
①活動に対して無気力な状態
②反芻思考によって、ネガティヴな考えや自責の念に囚われている
③身体症状が表れる(動悸、過眠、不眠、頭痛、風邪をひいた時にような気怠さ 等)
④なにかしなくては、とも思いながら、なにもしたくない、とも思っている。
憂鬱は上記の4要素を満たした時の
身体的な状態である。
「迷い、苦しみ、逃げている」
と表現するのがいい。
「なにをしたらいいかわからない、なにをしたいのかわからない、なにができるかわからない」と迷う。立ち往生する。
「このままじゃ駄目だ。こんなんじゃクズだ。自分はこんなに駄目なやつなんだ」と苦しむ。
一方で、迷って苦しんでいれば具体的に行動することがない。する余裕が無くなる。結果として、抱えている現実から逃げることができる。
憂鬱な気分のとき
人は迷っている
人は苦しんでいる
人は逃げている
のである。
なぜ憂鬱は起こるのか。
これは
なぜ迷い、
なぜ苦しみ、
なぜ逃げるのか
という問いの答えによってわかる。
2【憂鬱が起こる構造】
憂鬱は
理想を忘れる→迷う→苦しむ→逃避する
という行程を経て生まれている。
まずは、なぜ迷い、苦しみ、逃げるのかの問いに答えていく。
①なぜ迷うのか?
やりたいことが明確でないからである。
あるいは、それを忘れている。
たとえば、
私のやりたいことは明確である。
音楽が好きで、いい演奏がしたい。だから、楽器を弾き、歌を歌う。練習する。
しかし、憂鬱であるときには、私はこの「やりたいこと」を忘れている。意識の外にある。
「こうありたい自分」「ギターを上手に弾いて、音楽を楽しみたいと思うこと」を“忘れている”のである。
「自分のしたいこと」とは、
具体的になにをすることで、
なぜそれがしたいのか。
これら不明確な状態なのだ。
だから、
なにをしていいのかわからん
なにがしたいのかわからん
なにもしたくないからなにもしてないのか
なにかしたいのにできてないのか
わからん、わからん、わからん、、、
などと、迷う。
②なぜ苦しむのか?
これは、漠然とした理想を現実を比較しているからである。
「自分のやりたいこと」が不明確なのに、無意識化では漠然とした理想を持っている。
それと自分の現実を比較し、その差に落胆する。
「あー、ダラダラしちゃった、、こんな1日でいいのかな、本当はもっとなにかやらなくちゃいけないこと、やりたいことがあるのに、、自分は駄目なやつだ、、、今日もだめ、明日もだめ、俺にできることなんてあんのか?俺は何をやってもうまくいかないんだ、、」
といった具合である。
その「本当にやらなくてはいけないこと」「本当にやりたいこと」が認識できてないのに、
「なんとなく、もっといい感じにできるのになあ」程度の理想にたいして、自分の実際の生活に差があるように感じることで
「自分は駄目だ」などの自責の念、ネガティヴな気持ちを脳内で反芻させる。
③なぜ逃げるのか
これに2つの要因がある。
1、失敗を恐れている
2、迷い、苦しんでいて余裕がない
1について、失敗を恐れているというのは、
理想に向かって現実的な努力を精一杯やったとき、それがうまくいかない、という状況を恐れているということだ。
「マインドセット〜やればできるの研究〜/キャロルデュエック」によれば、硬直マインドセット(fixed mindset)の思考の典型である。
人の能力は生まれ持ったもので、生涯変わらないという信念を持っていること。
これが硬直マインドセットである。
この信念に従えば、
失敗すること=自分の生まれ持った能力は低いもの→自分は劣った人間である
と思考するに至る。
自分が劣った人間であると思うようなことを避けるには、失敗しないようにするしかない。
失敗しないために1番楽なのは、失敗を恐れ、行動を起こさないでいることだ。
だから、逃げる。
憂鬱な気分を打破しようと行動して、失敗したら、自分は一生憂鬱から抜け出せない、と考えてしまう。
だから、向き合わない、逃げる。
2、迷い、苦しんでいて余裕がない
については、
脳の仕組みを理解しておきたい。
私たちが行動するためには、脳では前頭葉という部位が働きが必要である。
しかし、ネガティヴな感情、不安や焦りで頭がいっぱいという状態の時、前頭葉はそれらを処理するために働いてしまっている。
そのため、憂鬱と向き合って具体的な行動するための余力が、脳に残っていないのである。
だから、不安、焦燥、憂鬱などの状態では、具体的に対処することができず、逃げるしかなくなる。
話を憂鬱が生まれてしまう構造に戻そう。
憂鬱は、
理想を忘れる→迷う→苦しむ→逃避する
という行程によって生まれる。
自分のしたいこと、理想が曖昧になり、意識できなくなる
なにがしたいのか、なにをしていいかわからなくなり、迷いだす
そうして、なんとなくダラダラと携帯をみたりタバコ吸ったり、意味のない時間を過ごして
明確じゃない理想と現実の間で苦しむ。
そして、逃げる。もっとダラダラする。もっと自分を責める。
こうして「憂鬱」が生まれている。
【憂鬱から抜け出すには】
構造がわかれば対処法もわかる。
理想を忘れ→迷い→苦しみ→逃げる
と流れていくから憂鬱が生まれるのであれば
①理想を明確にし、忘れないようにする。
紙に書き出すのが良い。頭の中だけで考えるのは、考えを整理するにも客観視するにも悪手である。
②各工程を意識し、自分の今の状態を俯瞰する
→迷っているなら理想を思い出す、はっきりさせる
→苦しいなら、理想を明確にし、理想と現実の差を正しく認識する。漠然と、なんとなく苦しむのをやめる。なにによって苦しんでいるのか、気づくこと。
→逃げているなら、まず脳を休め(散歩する、友人と話す、瞑想をする、運動するなど)てから、理想と現実を正しく認識する。
「自分はこういうことをしていきたい」という理想を、明文化し、憂鬱になってきたら、思い出すようにする。
自分のやりたいこと、好きなことを考えるとき、私はエネルギーが湧いてくる。
憂鬱とは対極にあるものだ。
憂鬱になったとき、やりたいことや好きなことを考えられなくなっている、忘れているのだ。
「あ、憂鬱っぽい感じや今」
と思ったら
「理想忘れ→迷い→苦しみ→逃げる」
を思い出し、
まずは自分の理想、志を振り返ることで
憂鬱から脱出する。
【余談】
私は憂鬱な気分によって堕落することや、デカダンスも、それら一切の無い人生ではいけないと考えている。
憂鬱が否定されるのは生産性を重視する資本主義社会においてのみであって、人が生きることにおいては、社会生活をお上手にこなせることなど、その一生の本質とは関係しないのだから、憂鬱を廃絶すべきとは言えないのである。
むしろ、そういった人間の一見すると過ちであったり、忌み嫌われている部分にこそ、人間や存在の本質が見えてくるのだと思っている。