思索記

ものを考える。詩。

「脳はなにかと言い訳をする/池谷裕二」読後感

中学か、高校時代に、「脳の仕組みと科学的勉強法」という本を読んだ。

 

f:id:syotaro-nakahara-gg:20191017001316j:image

 

科学的な見地から、学習するとはどういうことか、どうすれば効果的な学習ができるか。

テストで点数が取れないのは、頭が悪いからなのか?

記憶するとは、どういうことか。

などについて書かれており、

 

「脳の仕組みを知っていれば、“頭をよくする”ことができる」と知って、大変衝撃を受けたことを覚えている。

実際は、頭をよくするための努力は今日に至るまで怠っているわけでありまして、それは恥ずかしいのであるが、それもまた私である。

 

先日、久しぶりに書店に出かけて

文庫本の棚の辺りをグルグルと歩いていたら

先述の本の著者である池谷裕二先生の書籍が

何冊も並んでいた。

 

反射的にまとめて買い漁ってしまった。

 

せっかくなので、読み終えたものから、読後感を書いていきたい。

 

f:id:syotaro-nakahara-gg:20191016235317j:image

今回読んだ「脳はなにかと言い訳する」は、

 

池谷先生が過去に雑誌で連載していたエッセイに、新しく「語り」による追記を加え、「エッセイ」と「語りの書き起こし」の二部構成でまとめたものである。(この本自体は、もう10年も前のものであるが)

 

池谷裕二先生は、東京大学の教授で研究者だ。YouTubeに公演の映像があるので、興味がある方は見てほしい。https://youtu.be/IWit9QzIDBU

 

池谷先生にはユーモア性がある。

YouTubeの映像を見たり

著作を読んだ限りであるが

 

研究者と言われて想像してしまう

頑固さとは対照的な

やわらかな柔軟性を感じる。

 

その為か、まず読みやすい。

本作もサクサクと読めた。

 

脳の不思議さ、面白さを

池谷先生の呼吸とともに

感じることができて、楽しい。

 

当たり前だと思っていることが

脳について調べてみると

当たり前ではなかったりする。

 

良かれと思ってとる行動や反応が

脳について調べてみると

実は良くないものだったりする。

 

その意外性、面白さを味わえた。

 

例えば、嫌なことがあったとき、

お酒を飲んで忘れようとする

というのは良く聞く話だが

 

アルコールを摂取するときに

「不安や嫌な気持ち、の記憶」

を思い浮かべると

その記憶は強化されることがわかっている。

 

だから、お酒の場で悪口をいったりすると

より一層、相手を悪く思う気持ちが強まってしまうし、

酒のんで管をまけば、嫌なことが余計に記憶にのこるだけかもしれない。とか!

(https://www.researchgate.net/profile/Hiroshi_Nomura4/publication/5564220_Ethanol_Enhances_Reactivated_Fear_Memories/links/5458fb470cf2cf516483c60f.pdf)

 

他にも、例えば、「自由意志」について、

リベットという研究者が行ったという実験が紹介されていた。

 

被験者に

「好きなタイミングでボタンを押してください」と伝えて、

脳の活動を調べる。

 

すると、

「押そう」という意思が生まれるより先に

「ボタンを押す」という指令が脳の中に生まれていたことがわかった、というものである。

 

つまり、身体が先にボタンを押そうとして

意識が遅れて、「押そうと思う」らしい。

 

「身体がボタンを押す」ことを決定しているのは意思ではなく「脳のゆらぎ」だそうで

そこに意思は介在しないということのようだ。

 

「自分がそうすると決めた」と思っている行動は実は、「たまたま」脳がそのように反応した結果でしかないということで、

 

ちょっと受け入れたくないけど、

これが真実だったとして、

それでも俺が決めたことは俺が決めたことだ!と思ってしまう自分が居座る気もして、

やっぱり意識って面白いナ、と思う。

 

まえがきに

“「刺激に溢れたグルーヴ感こそが科学の魅力なのだ」と伝えたい”

と書いてあった。

 

読後、楽しかったです。

科学のグルーヴより、池谷先生の科学、そして脳への愛情のグルーヴを感じて

エイトビートの2分半のようでした。

と、僕は池谷先生に伝えたい。

 

まだ何冊も残っているので

しばらく退屈はしなさそうだ。