思索記

ものを考える。詩。

人間の文法 - 1 人間の文法とは

 美しい日本語を話せるようになりたいと思った。聞いていて意味が伝わりやすく、はっきりとしていて、リズムがあり、響きがある。本当は僕は日本語を知らない。識字し口語を扱えるだけでは、日本語が話せることを意味しない。日本語を使用しているのではなく、日本語を利用していると言える。僕は日本語を話せるようになりたい。だから、日本語の文法を勉強することにした。小学生または中学生が習う学習項目だ。当時は一夜漬けばかりしていたから、2割ほどしか覚えていない僕の頭。「勉強の仕方」の能力は、学生の頃より向上している。勉強は楽しい。きっと大丈夫。僕は日本語を勉強し始めた。

 勉強を進めていると、全てのものと同じように、日本語の文法にも万物の原則が存在することに気づく。区切られ、名付られ、意味を与えられたもの、またはその集合であること。そうでないものは存在しない。あるいは、そうでなければ僕らはそれらを把握し、理解することができない。つまり、認知された時点で、それは区切られ、名付けられ、意味を与えられる。それによって、すべてのものは構造を持ち、機能をもち、意味を持つことになる。一方で、この原則を持たないものは、その世界には存在しないことになる。犬や猫の世界には、僕らの世界に存在するものと同じものは一切あり得ない。色覚も異なれば、体長や脳の構造が異なることはもちろん、僕らは言葉を持つが、彼らは言葉を持たないからだ。これを拡張すると、僕とあなた、またはある人間とある人間が持つそれぞれの世界において、一方にしか存在しないものがあり得ることになる。専門家の話を一般人が理解できないことがそうだし、おじさんやおばさんは若者の言葉がわからないことがそうだ。知覚したものだけでなく、概念も含めた全てに対して、どのように線を引き、構造を想定し、名付けて意味を与えているのかは双子であっても完全には一致しないだろう。だから、恋人のちょっとした変化に気づく者と気づかない者が存在する。原則に沿って処理されなければ、それらは存在しないことになるからだ。

 ここまでで、日本語の文法と相似させるように、人間の文法という概念が存在するはずだと思考が到達した。「人を見る目がある」というのは、より高次な人間の文法を定義している、という意味になるのではないか。身長、体重、人種、身なり、社会的立場、言葉の扱い方、思想、表情、生活習慣など、日本語でいうところの単語、つまり人間を成り立たせる最小単位に対する線引きが細かく、それでいて体系的に処理されていることが、他者を分析すること、ひいては自己を分析すること、人間への理解に直結するはずだ。僕は自分の持つ人間の文法といえるものを整理し、ここに書いていきたい。僕の持つ人間の文法をより高めて、自分を知り、他者を知りたいと思う。

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「人間の文法 - 2 全体像」はこちら

https://syotaro-nakahara-gg.hatenablog.com/entry/2023/09/07/140758

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