思索記

ものを考える。詩。

「告白/町田康」読後感

「告白/町田康」は

名古屋で人に勧められて

読もうと思って買って、

それから読まずに放っておいた。

が、今日読んだ。所感を書いておきたいので書く次第。

 

本の内容について多少なり触れるので

全く新しく読みたいと思っている人は

自分で読んでから戻ってきて欲しい。

 

読後、こりゃすごいもん読んだ、と思った。

また新しく良い物に出会った、これは嬉しい、と思った。

 

読み始めるときには想像もしていなかった快感が、読み進むほどに姿を現して、読み終わってからもその余韻が心を掴んで離さない。

 

たとえば初めてギターを持って

スタジオと言って大きなアンプがあって、ドラムもあって、というところに

ドラムを叩けるモンを連れ立って行って

大きな音でギターが鳴って、

ドラムの音も大きくて

はぁ、と

時間軸的には、瞬間的なゆるやかさを以て

快感の極致に到達する感覚

「まさか、こんなに気持ちのええもんがあるとは、こんなに気持ちの良くなることがあるとは、」

と、気づいて身の奮い立つ体験、のような。

 

「通常運転」しているときには再現できず

恋しくても、同じことをすれば同じように気持ちよくなれるわけでもないので

恋煩いのように、もどかしい思いをするしかない。

 

ような、快感で、忘れてしまいがちな感動。

これじゃ、わかりにくいかもしれませんね。

 

つまり、

予期できず、

体験している最中にしか起こらず、

思い起こしても再現できない類いの、

気持ちよさがあった、

と言いたいのです。

 

なんの気無しに飲みに行った席で

思いがけず話の合う人と出会って

家出るときには想像もしなかった楽しさを味わえた。充実だった。

しかし、家に帰って眠って起きて

その楽しさを思い出しても

「楽しかったナァ、また飲みたいナァ」

と思ってしまうばかりで

楽しさが再現されるわけではないし、

はて、またその人と飲んだとして

おんなじ様に盛り上がって楽しくなるとも限らない。

 

みたいなコト!

そんな、深い余韻を残しながらも、

刹那的でもある快楽、を味わえる作品でした。

 

熊太郎という主人公が

十人の人間を惨殺するに至るまで

何を考え、どう生きてきたのか

実際にあった大量殺人事件をモチーフに書かれた、長編小説。

 

主人公の熊太郎は、幼いころから矛盾を抱えて育った。自分の中の思考と現実が、どうも噛み合ってないのである。

 

頭の中が自分の言葉でいっぱいになって、

現実との折り合いをつける前に、

空気の読めない、不自然な言動をしてしまう。

 

そんな自分が嫌いでもあったし、

その自分の内面に気づいてくれず、外側だけしか見ない周囲の人間に対しても素直になれなかった。

 

僕も、余計に考えすぎてしまって

ぎこちなくなってしまうことがよくあるから、

この主人公の描写には深く共感させられた。

 

「殺し」をテーマにした作品はいくつか読んだけど、

この作品の殺しには

どうしてもそうでなくてはいけなかった、

どうしても殺さなくてはいけなかったのだ

ということを了解してしまうくらいの説得力があった。

 

最終的に、主人公熊太郎が殺したかった人間のうち、2人殺されずに生き残ったのであるが

僕はそのうちの1人を、自分でエピローグを付け足してでも殺してやりたいと思った。

 

寅吉、という名前の男で

主人公熊太郎の宿敵ともいえる

金持ちで汚くずる賢い熊次郎の弟にして

 

思慮浅く、ヒトの気持ちを何とも思わず

それを悟られないことには知略をこらす

最低の人間で、

主人公熊太郎の嫁を寝取った。

 

単にそれだけの罪なら

殺すのでは罰が重いのではと思うかもしれないが

今でも僕は、寅吉を殺したい。

 

そもそも、この寅吉というのは

金がないのに遊郭で遊び

いよいよ店の者にシメられると言ったときに

 

主人公熊太郎に銭を出してもらい

助けてもらったというのが出会いであるのに、

その後、恩義のかけらもない。

 

その癖、腹の中では熊太郎を見下して

状況によってへり下ったり、軽んじたり

飄々としながら、終始利己的で

 

熊太郎の嫁まで寝取り、

熊太郎を見下しているので

そのことを隠すでもない。

 

こんなに胸糞のわるいやつがいるか!

 

寝取られた嫁の縫というのも、

熊太郎に殺されたが、

許せない人だった。

 

いや、縫に関しては、客観的に考えれば

熊太郎も夫として酷い者だったので

縫の不貞には理解も及ぶのだが

 

なにせ、熊太郎の心情描写にあてられて

熊太郎と同じような目線でしか見れない今、

縫は死んで然るべきだった、としか思えない。

 

寅吉のように調子良く人に合わせて

その実、相手を見下しているような人

いるよな、と思う

 

熊次郎みたいに覚悟もなく

バッタかトンボを捕まえていじめる様に他人を扱う人

いるなあ、と思う。

 

神戸で教員いじめをしていたっての、

熊次郎みたいな奴なんじゃないか、と思ってしまったりする。

 

縫という女のように

何食わぬ顔で嘘をついて

何もわかっとらんくせにわかったような顔して

強情な人

いるよな、と思う。

 

そして、主人公熊太郎のように

独りよがりな理屈ばかりこねて

自分を賢いと勘違いしているが、

その実、子どもな精神性の人

いるな、と思う。

 

読みながら

自分の中に熊太郎を見出してしまって、

恥ずかしかったくらいだ。

 

「告白」というタイトルだが

悲しいことに、熊太郎は最後まで

自らを告白するだけの存在にはなれなかった、

あるいは、最後までその術を持ち合わせなかったのか。

 

自死するときに残した

「あかんかった」とは

 

生まれてきたことが、なのか

ここまでの生き方が、なのか

最初に躓いてしまったことが、なのか。

 

僕は、自分が死ぬときには

誰に何を告白できるだろうか、

 

そんな問いと

濃密な心理描写による興奮の余韻が

頭の中で踊っている。

 

また、時間をあけて読み返したいと思う。

最高だった。