思索記

ものを考える。詩。

6月は水無月というらしい

僕の職場の壁にはカレンダーがあって、そこには日本語で月の名前が書かれている。日本語のそれは和風月名と呼ぶらしい。今月は水無月と書かれている。梅雨の時期なのに、どうして水の無い月と呼ぶのか不思議に思った。だから、現代人よろしく簡単に調べられる手のひらサイズのパソコンでグーグルした。梅雨の時期である6月を水無月と呼ぶその理由は、暦の違いにあった。和風月名は旧暦の時代に使われていた呼び名で、現在の暦とは少しズレがある。水無月は現在の暦で、7月にあたるとのことだった。梅雨が明けて夏が来る月だから、水無月と呼ばれるようになった。僕の職場の毎月ちぎられるカレンダーには、和風月名が載っている。僕はそのことが密かに楽しみで、いつもチラチラと気にしている。和風月名の響きや、漢字の感じが好きだ。先月は皐月(さつき)だった。となりのトトロを見たことがあれば、メイとサツキで聴き馴染みがあると思う。すごくいい名前だ。日本語には、日本語の美しさがあって、きっとそれは時代と共に失われつつある何かしらの、その一つなんだと思う。和服を着なくなったこととか。別にそれがどうのって言うわけじゃないんだけれど、和風月名にワクワクする僕の心は、日本人の血によるものなのかもしれない。アメリカ人も、月の名前にワクワクしたりするんだろか。今月はMayだぜ?Mayってナンカイイヨナ!って思ったりするんだろうか。それにしたって、当時の日本人が水無月ってナンカイイヨナって思っていたとも考えにくい。物珍しさを感じているだけなのかもしれない。 6月と水無月のズレについて書きたかった。水無月の由来を調べた時、それは何かを思い立ったり感じたりして、「コレだ」と決めたことが、時間が経ってズレてしまうことと重なった。そもそもこの世界自体が、そういう作りになっているのかもしれない。換気扇を眺めているのが心地よかった。それは、クルクルと回り続けていて、二度と同じでは無い風が通り続けているからだった。ぐるぐると繰り返していることと、二度と同じで無いことが共存していて美しいな、と感じる。正解があると思っている。そのことを指摘されたことがある。6月が水無月なのは変だろ、不正解だろ、と思ったから調べたのだ。当時は正解だった。そんなもんなんだと思う。ぐるぐるして、二度と同じではなくて、正解だったり不正解だったりどちらでもなかったりする。6月は、水無月というらしい。それでいいのだと思った。