思索記

ものを考える。詩。

遠征記 - TOONICE編 3

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遠征記 TOONICE編 1 はこちら

https://syotaro-nakahara-gg.hatenablog.com/entry/2023/03/14/023545

 

遠征記 TOONICE編 2はこちら

https://syotaro-nakahara-gg.hatenablog.com/entry/2023/03/15/204137

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 バスに乗っても引き続き「サラバ!」を読んでいた。同時に、高松空港で「さ ぬ き」を見た時と同じように、頭の中で歩の姉のセリフを反響させながら、窓の外の景色を見ることもやめなかった。空港から瓦町への道中、バスから見える景色は北海道とは全く異なり、そうと比べれば、名古屋(というより愛知岐阜あたり)の方が瓦屋根の家が見られる点では近しいように思ったが、それでもまた、それらとも違うように見えた。京都のように、空が広く見えた。背の低い建物が多く、間隔も広かった。所々、石垣があったことが特徴的だった。北海道にも石垣はあるんだろうか?感覚としては、かなり珍しいものを見られた気分だった。石垣は、綺麗だった。香川はどこの藩になるんだろう、自然に興味を持てた、が、調べていない。僕は浅いのだった。途中、イオンの様なショッピング施設が目に入ってきた。イオンと同じ色の組み合わせで、キツめの濃いピンクに、白の文字で、「you me」と書かれた看板だった。僕の中で「JET★」に対する気持ちと同じ気持ちが沸き起こった。ネーミングの安直さ、僕は、アホらしいものが好きだった。親父ギャグや駄洒落を言われると、我1番と吹き出してしまう。愛すべきジェットスター、you me、あっぱれ地元の愛すべきオジサン、親父ギャグ、だ。「you me」を過ぎると、徐々に街が栄えている景色に入っていった。そうとすると、瓦町に到着した。

 

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バスを降りると、右手に駅が見えており、バスが停まったのは駅前のロータリーで、降りた時に向いていた方向にそのまま歩いて行ったが、行き止まり(信号のない道路、ロータリーの間?つきあたり?)になった。向こう側へ渡れないか様子を見ていたが、それなりの交通量があり、難しかった。僕は諦めて正規ルートにもどり、駅前に到着した。とてもいい天気だった、空気の違いは、アンプのツマミを思わせる。札幌の寒さは、Highフルテン、Mid11時、Low9時と言った感じ。高松の空気は、札幌はもちろん、名古屋とも違っていた。High9時、Mid15時、Low10:30な感じ。南国を感じる(南国を知らないが、しかし南国だった)、トゲのない、色のつかない霧状の暖風が彷徨っているような(確かにそこにあるが、透けていて、視覚的には何もないのに、どこか質量を感じる)空気だった。この気候は、とても好きだ、と思った。生まれてから、人生史上最も西側に到達したことを実感した瞬間だった。街の空気は、大抵、その街を気にいるかを分からせてくれる。僕は高松が好きだ、と思った。

 

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今回の遠征は、僕が全く馬鹿で高知行きの往復飛行機を間違って買ったばかりに、金に余裕がなかった。だから、相棒のヤイリギターを泣く泣く札幌に置き去りにし(「JET★」に預けるのは怖い、2座席買うお金がない!)、TOONICEにてお借りする運びだった(実はこれだって、「行くと決めたらいく」のと同じように、「歌うなら自分のギターさ」という熱量があれば借金でもなんでもして持っていくことは可能だった。僕は、「相棒」と言った割に、ギターへのこだわりはないのだった。もちろん、今使っているヤイリグイターは大変気に入っている。小さいボディの割に大きくなってくれるあの音が大好きだ、同時に、どんなギターでもいいライブをできる自信もあった、鼻垂れである)。弦を交換した方がいいとのことで、弦を持参する約束だったので、TOONICEの近くに楽器店があれば、着いてから買って行こうと思っていた。瓦町には、音楽関係のお店が結構あった、もちろん楽器屋もあり、駅から店に向かった。駅前の信号を渡り、まっすぐに進み左に入ると商店街があり、楽器店はそこにあった。Googleの写真では、小さめのお店に見えたが、存外広い店内だった。「自分の信じるものを探しなさい」と歩の姉に言われたことを考えていて、店内にかかっているR&Bらしき音楽に、自然と「好意」を感じたため、もしやこれは自分の信じるものに続いているのではないか、そうだろう!と、弦を手に取り、会計する段になって「この曲は、誰の曲ですか」と店主らしきオジサマに話かけた。楽器店でかかっている曲について話をする、漫画にもある憧れのシーンだ。やっぱり僕は“そう言う”人間なのだった。そして、オジサマは「ハッ」と失笑し、少し間を開けて僕を見つめると、「何の曲って...USENだよ」と言うのだった。なんて、恥ずかしい瞬間だろうか........心臓がキュッっとなった。恥は、掻き捨て、、、、大丈夫、、、本当にいい曲だったのだから、、、。恥に固まりながら会計をすませ、店を後にした。楽器店の入り口には「SANUKI ROCK」というフェスのポスターが貼られていた。瓦町は音楽が活発な街なのかもしれない、と思いながらきた道を戻ると、商店街の出口の壁(店?)にクロマニヨンズのアルバムポスターが貼ってあり、ヒロト!!!と思うと、いよいよ僕は瓦町を気に入っていた、もう先ほどの恥を忘れていた。僕は単純だった。

 

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商店街を出て駅前の通りに戻り、3、4ブロックほど進むと大きな交差点の手前にTOONICEはあった。地下ではないけれど、2m(?)ほど階段を下り、機材の運搬がしやすそうな広さの入り口を抜けると、ポスターがたくさん貼ってある店内に受付がすぐに目に入り、受付を抜けると右に細長い廊下、突き当たり手前、右にステージの広間への扉がある。呼んでくれたKさんに挨拶して、それからすれ違う出演者にそれとなく挨拶をして、手持ち無沙汰になり、ひとまず入り口に戻ってタバコを吸った(中では吸えない!時代はタバコに厳しい)。開場までまだ少し時間があったから、お酒を買い(とても安かった‼︎驚きの親切価格に感動した)、ライブハウスの周りを歩いてみることにした。TOONICEを出て左に曲がると、大きな交差点があり、交差点の向こうには大きそうな公園らしき場所がみえた。吸い寄せられる様に公園に赴くと、何がしか誰がしかの銅像(記念碑?)があり、その足元にたくさんの金魚が泳ぐ小さな人工池があった。公園は緑が目につく風で、タバコの吸い殻やお酒の空き缶はもちろん、ゴミの様なものは見当たらず、治安がいいか、それかよく手入れされているようだった。たくさんの金魚が懸命に忙しなく泳いでいる様子を、はたと眺めている間に、歩の姉のセリフ、楽器店での恥ずかしかった自分、「さ ぬ き」の自分を脳みそが駆け巡り、そして心のチューニングが整った。金魚がいなければ、憂鬱を引きずってしまっていただろう、「見てろよ、金魚、このやろう!」と心の中で感謝の辞を述べ、僕は会場へ戻った。

 

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この日のトップバッターは「ラムネズ」で、彼らは高松のバンドだった。熱量とテクニックのバランスが絶妙で、本人たちが楽しんでいる(あるいは、心酔する)演奏でありながら、聴いている人がいるという視点を失わないプレイング、幅広い音楽を丁寧に、器用に、それでいながら「アツさ」も感じさせるドラムに、ただ合わせているのではなく、本人のグルーヴを他のパートを邪魔しないバランスで入れ込みながら寄り添うベース、彼らへの信頼があるのだろう、自分のペースを崩さずに歌い上げるレスポールスペシャルを鳴らす(「掻き鳴らす」のではなく「鳴らす」)ボーカル、そして大本命、高松のマーシーテレキャスターで生み出すロックンロールギター!ラムネズの最後から二曲目は、僕のルーツが共振した曲で、ジャパニーズパンクロックだと思った、ギターのプレイングが、弾き方が、マーシーの生写しのようで(本当にそっくりだった!あとできくと、あれはまさにマーシーをコピーしたものだった、嬉しかった)僕はゲラゲラと笑いながらライブを見ていた、高松にはマーシーがいる。あっという間に僕の出番になった。金魚のおかげで心のチューニングが整っていた僕は、初めまして高松、の気持ちで歌うつもりが、ラムネズのマーシーに感情が昂り、もはや「ぼく!パンクロックが好きだー!」の気持ちでいっぱいだった、それだった。もはや僕が歌わなくても、30分延々と「パンクロック」を流していればよかったくらいだった(言い過ぎだ)。あとになって、ラムネズのマーシーに「ロックンロールがやりたいんだな、って伝わるよ」と言われて、頭の中で「パンクロック」を流していた僕としては「伝わってる!」との思いで嬉しかったし、ラムネズのベースが「乾杯したくなりました」とお酒を奢ってくれたし、これはもう大成功だった(北海道弁でいうところの、「おだっている」状態だった、ライブは酷かったのかもしれない...不安になる、あはは)。3番目は「Sniff」で、From名古屋の遠征組だった。ジャンルはわからないけれど、ファンク?ブルース?、これまでの偉大なミュージシャンたちの系譜を受け継ぎ、愛しているのがわかるサウンドだった(たぶん!音楽を聴かない僕にはわからない世界、ぐぬぬ)。前提として皆んな楽器が「巧く」て、音作りから曲、演奏に至るまで、「しっかり」「音楽」だった、酒をのんで体を揺らせるグッドバンドだった、きっと僕がラムネズのマーシープレイに感動したように、ブルースやファンクが好きな人がみればアガるようなフレーズやプレイがあったのだろう、僕には気づけなかったけれど、絶対に。もったいない!わかる様になって聴きに行きたい。4番手には「How to draw A castle」という、From高知のバンドが演奏をした。その頃には僕は大分酔っ払っていた。出身がしもてからイギリス、日本、アメリカの3人のサックス、ドラム、ギターボーカルの3ピースバンドで、アーティスト写真がツボで、サックスが赤んぼうに見立てられ抱かれていた、家族写真をモチーフにした写真だったのだけれど、写真でサックスを持っていたのはドラムというレトリック、(勝手に)やられた。サックスは写真で学ランを着ていた人だった。サックスはアルトかテナーだったようだけれど、バリトンサックスかと思うほど野太さを感じさせる音で、酔っ払いながら、「すげぇ〜、、」と思って聴いていた、あとになって、ドラムの人と話していて、そう思ったことを伝えると、「直接言ってあげたら喜ぶと思う、彼は何か吹き口)マウスピース?)を色々工夫しているみたいだから」と言っていた。英語の歌詞だったから、何を歌っているのかはよくわからなかった、英語の勉強を何度も挫折している。さっきのスニフもそうだけど、やっぱりいろんなことに興味を持って、知っておくと楽しめるものというのは、たくさんあるんだろ、けれどそれは自分で決めて自分で興味を持たなければいけない、、、サラバ、、歩、、、、。最後のバンドは「象の背」で、From京都の3ピースバンドだった、京都といえば僕は京都にはいい思い出があって、好きな人がいる、京都の天才詩人だ。彼と一緒に宝ヶ池をぐるりと歩き、「法」の字の上に立ったことは死ぬまで思い出となるだろう。そんなわけもあって、京都=無条件で僕は愛してしまうのだった(書いているうちに差別、偏見がすぎると思った。よくない。僕だって「北海道の人なんだ!好き!」って言われたら非常に不愉快だ、なんだそれ。テキトーなこと言うのやめよう、、)。ともあれ、全バンドの演奏が終わり、イベントの終わりを迎えた、一旦の幕引き。総じて僕は相変わらずの己の“イタさ”を痛感し、音楽でととのい、結局は楽しかった。遠征の良さだ、恥も掻き捨て、また高知に行きたい。

 

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ライブの後は、深夜までやっているカレーうどんの店に連れて行ってもらった。TOONICEから10分ほど歩いたところのお店で、カウンターが10席くらい、4-5人かけのテーブルが5つくらい。奥に細い縦長の店内だった(2階もあったのか?)。Sniffも、高松に来る道中でうどんを食べたとライブ中に言っていた。そのお店の方が有名らしく、観光客駆け込む繁盛店らしいが、車で少しかかる場所にあるとのことだった。連れて行ってもらったお店が香川県民たちの中でどどういう位置のお店かはわからなかったが、普段手打ちのうどんを食べること自体もないので、高松だから、美味しく感じたのかはなんともいえないが、麺にコシがあり、たしかに美味しかった(しかも、ご馳走になってしまった!ああ!LOVE高知!!)。そうこうして、ああこうして、翌日僕は札幌へ帰り、僕の高知遠征が終了したのだった(なんと空港までも送ってもらってしまった、ああLOVE高知!!)。

 

FIN