思索記

ものを考える。詩。

遠征記 - TOONICE編 2

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遠征記 TOONICE編 1 はこちら

https://syotaro-nakahara-gg.hatenablog.com/entry/2023/03/14/023545

 

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僕の上着にはペットボトルも入るくらいに大きなポケットが、左右に携えられている。少し重たくなるけれど、文庫本2冊くらいは容易に入る大きさだった。頑張れば左右で6冊は“イけ”る(英語圏ジェスチャーで。ピョコピョコと“イけ”る)。いく必要はないが、いける。やってみたい。2冊の文庫本をしまい入れ、僕は書店を後にした。ポケットに入るだけの荷物で生きていきたい。マスクも、時計も、アクセサリーも、鞄もいらない。できれば煩悩や苦悩も瞬間ごとに流れ出ていってほしいが、難しい。憂鬱はくたびれたガムみたいに、吐き出せる場所が見つかるまで、いつまでも居座り続けるからだ。ところでその時間、羽田空港には若い人が多かった。街には高齢者が溢れているが、他所の街へ溢れ出ては行かないからかもしれない。今では3人に1人どころか、2人に1人は高齢者のように見える街の風景に馴染んでいる。僕は、人工分布の中途半端なところにいるんじゃないだろうか。子供は社会にとって宝物では無くなってしまったような、令和。悲しい。保安検査場に向かった。

 

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保安検査場に向かうと、新千歳空港とは違った入場の手順だった。新千歳では、体温測定器をクリアし、検査の必要な荷物や上着、携帯や鍵などポケットの中のものをカゴに入れ、それから航空券を見せて、金属探知ゲートをくぐった。羽田空港では、体温測定器の後、まずゲートがある。ゲートには航空券を読み取るカメラが付いていて、チケットやスマートフォンに印字されたバーコード、QRコードを読み取らせることで通過できる。その後、列に並び(この列が長くなると、警備員が一時的にゲートを封鎖する。「ピッ」と通ろうとする乗客に対して、「少し待ってください。」だって。デジタルとアナログの過渡期の特有な風景だ。いずれ、僕らが学生の頃、教科書で「ほーん」と眺めていた「三種の神器にむらがる昭和の人々」のように、「デジタル化が急速に進み、市井の人々と機械が共に働いていた時代」の風景として、教科書に載ることだろう)、荷物をカゴに入れる。利用者の総数の違いで、手順も異なっているのだろう、確かに、新千歳でこんな風だとかえって面倒に感じる気がする。空港も生き物と同じように、環境によって適者生存的な進化を遂げるのだから、面白い。羽田的進化と名付ける。僕も人気者になって、ライブでは羽田的進化をした入場規制を行いたい(“ジョーク”である)。今回は、乗り継ぎ便も含めて全てジェットスター航空だった。ジェットスターの「JET★」マークを見ていると、僕はなんだかアホらしい気持ちになる。ジェットのスターという安直なネーミングは、遙か上空ウン千メートルに放り出される僕の安全を守ってくれるのだろうか?と不安にさせる。直訳、ジェット機星。ウソップの攻撃にありそう、爆発しないでくれ。。。

邦題を付けるなら「英雄(ヒーロー)〜噴流の星〜」。少し安心できる。できないか。僕は熱しやすく、くだらないのだった。飛行機では、今回の遠征の第一ハイライトに出会うことができた。それは、素晴らしい客室乗務員の姿だった。僕は前から3番目の通路側の座席に座っていた。1つ前の座席に座っていた恐らく若い男性に、通路を抜けようとした40代、もしかしたら50代前後の客室乗務員の足がぶつかった。彼女はすぐにしゃがみ、お客様を向いて「大変申し訳ございません」と謝罪をした。若い男性の表情が芳しく無かったのだろうか、あろうことか彼女は続けて、「もう、この足が太いから!」と太ももをパシパシとはたき「本当に申し訳ございません!」と言ってのけた。そのエンターテイメント性たるや!僕も含め、周りの人たちが途端、和んでしまった。そうとすると、僕は彼女をみていたくなった。彼女のお客様へ向ける笑顔は、業務として必要だから行われる、といった味気ないものではなく、全く本当に「笑顔」だった。「笑顔」には種類があって、侮蔑や憐れみ、嘲笑の意が含まれるものや、筋肉だけを動かしている計算された作り笑い、媚びる笑い、強制する笑い、誤魔化す笑い、どれも、子供が1人で、キャッキャと笑うような純粋なものではない、つまり、原始的、動物的な笑顔にくらべると、純度が低い、或いは複雑な、とも言えるものになる。彼女の笑顔は純度の高いそれだった。そのような、心からの笑顔ほど、エンターテイメントになるものはない。あくまでも「自分が」おかしくて、あるいは楽しく、あるいは陽気だから、生まれるものでしかないのに、結果として周囲を和ませる、他者貢献的な笑顔。それとなくみていると、彼女だけでなく客室乗務員のチーム皆がイキイキとしている風だった。客室乗務員の組織体系はわからないが、件の彼女が当歳でいえば恐らく1番上だろうとみえた。彼女が中心となって、この“快適な空の旅”空間を作り上げる、いいチームが出来上がっているのだろう。「この太い足が!」だ。自虐でありながら、そこに卑屈さは全くない、そのバランスは簡単にできることではない。話が前後してしまうけれど、西加奈子の「サラバ!」の中で好きだった文章に以下のようなやり取りがある(記憶を辿った引用のため、正確なものではない)。

 

「歩は、ヨガってしたことある?」

「ヨガには、沢山の複雑なカタチがあるけれど、どれも身体の幹がしっかりとしていないとできないの。」

「歩は、揺れているように見えるわ。」

「自分の信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」

 

きっとこの客室乗務員は、太い「幹」を持っている。朗らかさや、ユーモアや、すべてエンターテイメントは、この「幹」がなければいけないのだと思う。彼女のエンターテイメントのおかげで、より一層、ライブへの気持ちが高まるのだった。僕は、ホクホクとした気持ちで、読書を開始した。

 

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高松空港に飛行機がついた。飛行機から空港への接続通路を渡り階段を降りると、右に曲がる通路に続いていた。通過には縦2m、横3mほど(記憶なので正確ではない)の、大きな窓が付いており、窓からは背の低い山が見えた。山(丘?)には、京都の大文字焼きのように、石造りの大きな字で「さ ぬ き」と書かれていた。何も感じなかった。その時僕はいつものように憂鬱に耽っていたからだ。飛行機で「サラバ!」で、先の下りを読んでから、僕は自分の「幹」について考えていた。何もなかった。サラバ!の主人公の歩は、暴虐の限りを尽くし周囲はおろか家族からも疎まれる姉の姿を見て育った。だから、と主張されていたが、歩はいつも周りを怒らせないように、迷惑をかけないように、主張をもたず、自分の「安全」を脅かされないでいるには、どうすれば良いかだけを考えて行動していた。30代になるまで、歩はそれで万事うまくいっていたが、「禿げ」てから人生が急激に転落する。転落してから、ようやく自分が「危うい」生き方をしていたことと向き合うことになる。小説の読み方は様々あると思うけれど、僕は自己投影をすることが多い。自分のことしか考えていないからだと思う。歩の安全圏から出ない生き方には、大きく共感するところがあった。例えば僕は、名古屋に3年と半年ほど暮らしていた。北海道へ帰った後、一度ライブの企画をし、名古屋へ歌いに行ったことがあった。名古屋で仲良くしてくれていたバンドと、京都でかっこいいと思ったバンド、それから札幌で僕が好きなラッパーに集まってもたった企画だった。例によって、終演後居酒屋へ向かう段になったとき、お店の場所がわからなかった。その店は、その街のバンドマンや働いている人にとってはよく名の通っているものらしかった。僕がわかっていないこと、そのことが知れた時、恐らく何の気も無い言葉だと思うけれど、「ここ(この街)で働いていた人間とは思えないな」と言われた。今でも時々思い出してしまうくらい、僕の「浅さ」を突き刺した言葉だった。高松空港を降りた時、僕はその言葉を思い出していた。あの店やあの場所、あの音楽やあの小説、映画、スポーツ、文化的なエトセトラ、ゲーム、対象はなんでも、「幹」のある人間には語ることのできる「好きなもの」がある。僕にはそれがない、何をしても楽しいけれど、それは「楽しめる」のであって、「楽しくて仕方がないもの」ではなかった。もっというと、「楽しむそぶり」をしなければ、嫌われてしまうだろう、といった義務感や、「これを楽しめること」がステータスになり、「僕を見て!」の欲求が満たされるから、でしかないものが多かった。僕には、「ここ(この街)で働いていた人」に自然になれる人たちに、強い劣等感があった。初めて高松に行くことは、幹のある人に語らせれば、それは楽しい話を持って帰れる出来事だと思う。街の様子、売店で売っていた珍しいもの、車窓から見える景色、空港からみえる「さ ぬ き」の文字。空港の自動販売機の向かいには武士(?)のイラストの「フィッティングルーム」があったし(誰が何のために使うのか、全く見当がつかなかった)、横に長い入口には、都会のそれ比べるとあまりに緊張感のない、案内カウンターの受付嬢が仲良さげに談笑する姿があり、固いように見えて座ると柔らかい、丸くて不思議なデザインの椅子があったこと、とか。これらを僕は、「こういうことに興味を持ち、人に語れる人間」と「興味がない自分」を比較して、義務感から体験しに行っていた。サラバ!の「自分の信じるものを、他人に決めさせてはいけないわ。」という姉のセリフがそう強く自覚させた。「歩は、揺れているように見える。いつも周囲に迷惑ばかりかけている私を、あなたは疎ましく、惨めに思っていたかもしれない。けれど、私はどんなに傷つくことになっても、私の信じるものを信じていたわ。あなたは、あなたの信じるものを見つけなければならないのよ。」と、歩の姉のセリフが僕の頭にへばりつく。だから、本当は興味がないのに、「さ ぬ き」の文字を、そんな風で見ている自分がひどく嫌だった。自分がわからなくなる感覚だった。

 

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TOONICEのある瓦町までは「ことでんバス」というリムジンバスに乗った(「ことでんバス」は、香川に行ったことがある、または地元の人間には“名の通った”ものであるだろうと思い、覚えていた。やっぱり、浅い、ださい!)。空港を出てバスの方へ向かうと、案内のオジサンが、「どこ?高松?」と聞いてきた。高松空港にいるのに、「高松?」と聞かれても、何を聞いているのかわからなかったから、「あ、はい」と曖昧な返事をしたら、「はい、じゃあそっちね」とバスに案内されてしまった。そのバスが瓦町に行くのかわからなかったので焦って、バスの前にいた運転手に改めて聞くはめになった。瓦町に着くバスでよかった。後になって、先ほどの「どこ?高松?」は、「JR高松駅方面のバスを探していますか」の意だとわかった。あまりに初見殺しだ。愛すべきオジサン、どこの町にもいる、僕もあんな風になるんだろうか。瓦町へ向かった。

 

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遠征記 TOONICE編 3はこちら

https://syotaro-nakahara-gg.hatenablog.com/entry/2023/03/15/204137

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