思索記

ものを考える。詩。

遠征記 - TOONICE編 1

TOONICEというライブハウスは高松にあり、今月、僕はそこでライブをした。高松は四国で香川だとは知っていたけれど、四国のどこで(右上、右下、左上、左下のどこかだ!)、どんなところなのかはよく知らなかった。僕は兵庫県より西に行ったことがなく、中国、四国、九州、沖縄に足を踏み入れたことがなかった。いまは北海道で暮らしているけれど、名古屋に住んでいた頃もあった。名古屋にいたうちに、もっと色んな土地に行っておくべきだったと、時々後悔する。自由に使える時間も少なくなり、交通の負担が当時よりも大きくなったように感じるからだ。けれど同時に、お金も時間も、強い熱があれば乗り越えられるものだ、とも教えてもらった。「乗り越える」ものですらないかもしれない。いく、と決めた人はいく。そこに負担は微塵も介在しない。けれど、当時から僕にはその、最も重要な「熱量」がないのだった。だから、本当は後悔すること自体がお門違いで、熱量があればどこに住んでいるかなどは関係なかった。熱量の有無こそが問題だった。熱量はきっと、欲求から生まれる。欲求はきっと、生活を慈しむことから生まれる。そんな風なことを、ぼんやりと考えている、僕は生活を怠けていた。朝、空港に向かい、夕方に高松につき、ライブをして、翌朝すぐに空港にもどり、北海道へ帰ってきた。これが小さな子供なら、それなりの大冒険だけど、僕は良い大人だから、冒険でもなんでもない、けれど、総じて楽しかった。時間にして16時間ほどと、一瞬しか居なかったわけだが、高松は良い街だった。高松へ行くことになったきっかけは、1年ほど前(もっと前か?)、名古屋時代に出会って、当時僕を静岡のZOOT HORN ROLLOに連れて行ってくれたりしたKさんと、札幌で再会したことだった。円山リボルバーにツアーの企画に携わったとのことでKさんがきていた。そのイベントを観に来ないか、と連絡をくれて、僕は観に行った。その時のツアーミュージシャンがものすごく良かったので、くそ、この、とのたうっていると、Kさんは「また名古屋にも歌いに来てよ」と言ってくれた。その後、2回ほど名古屋でのライブに誘ってくれていたのだが、都合、行けなかった。そうしているうちに、Kさんは「名古屋じゃないけれど、高松でイベントをします。良かったら出演しませんか」と連絡をくれた。遠いから、よく考えて無理せずに、と言ってくれていたが、僕の答えはYES!しかなかった。高松!行ってみたい、歌ってみたい!それはもう恋とも言える昂りだった。僕は熱しやすかった(同時に冷めやすいのが、「浅い」と言われる所以である。実際、準備やらはいつも甘い。そのせいで、今回も「高松」と「高知」を間違えて飛行機を買ってしまい、無駄にお金がかかった。全く馬鹿だった。そうといえば、一年しか通わなかった高校の校訓は「継続は力なり」だった。皮肉だ)。それで、今回の高松行きは生まれた、おぎゃあ、だ。

 

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当日の朝は雨が降っていた、と思う。朝が早いから、前日は早く寝なければいけなかったのに、全然眠れなかった。寝なければいけない、と思うほど眠れないもので、寝てはいけないときに眠い(僕は猫になりたいと思う。来世は猫でお願いしたい)。寝たのか寝なかったのか曖昧な風で朝方まで過ごし、無理くりに身体を起こした。起こしてしさえまえば、身体はおきてくれた。烏の行水を済まし、空港へ向かった。時間がギリギリだった。出発の30分前には「チェックイン」を済ませなければ搭乗できない。そんなことはもちろん承知していたが、空港に列車が着くのが出発の約40分前(30分に近い方の)だった。チェックインカウンターの場所まで10分で間に合うのかどうか、僕は知らなかった。結局「オンラインチェックイン」ができることに辿り着き、一安心して列車に揺られた。高松へ行くには、飛行機を乗り継ぐ必要があったので、移動の時間が暇になるだろうから、本を買っていきたかったのだが、そんな余裕はなかった。渋々諦め、急いで保安検査場を抜け、タバコを吸うと、もう飛行機に乗らなければいけなかった。朝はいつだって忙しい。僕のせいで、そんな僕の罪のせいで...。

 

飛行機に乗り込むには、搭乗口からバスに乗らなければいけなかった。格安航空特有なのだろうか、いつもそうだ。バスにはミチミチと人が乗り込むことになるので、非常に苦しい。人がたくさんいるところにはストレスを感じてしまうからだ。そう思う人は少なくないはずだから、ミチミチのバスはストレスがストレスを呼ぶストレスミキサーだった。列車や地下鉄もそういうものだと思う。仕事の通勤では地下鉄に乗っているけれど、特に帰りの地下鉄は、人が混むことが多い。人が混む場所はいつだってストレスが飛び交って混ざり合ってポップコーンだ。弾くポップコーン、まさにパンチラインだ。地下鉄に乗るといつも、僕にはポップコーンのような怒りがある。入り口に居座って動かない人と、中に空間があるのに詰めない人たちへの、強い怒りである。厚切りジェイソンよりも大きく、サンシャイン池崎のように動き、ハリウッドザコシショウのようにわめきたい。なぜ!君は!動かないのだ!と(WHY!DONT YOU MOVE!だ)。君が動かないから、その手前になってしまった人は後ろからグッと押されたり、前から邪魔だよもっと詰めろよのストレスポップコーンを浴びることになる。そんなことをされても、動かないのは前の人なのだから、手前の人は動けないのである。歩数にして、6歩くらい。人が降りる時には一度降りて傍に避ける。乗ってくるなら中に詰める。たった6歩、なぜ動かない、なぜ、頑ななのか。そんなに、嫌そうな顔で、降りる人を見るくらいならば、君が一度、降りれば良いじゃないか、、。

話が脱線し過ぎてしまった。僕は飛行機に乗った。

 

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成田空港の乗り換えには、今回でようやく慣れた気がした。初めて行った時は歩く距離が長く、どこへいけば何があるのかも分かりにくいと感じたが、今回はあまり気にならなかった。慣れはすごい。勝手知ったることの、なんとやらで闊歩できた。高松空港への乗り継ぎには時間があったから、ここでようやく本を買うことができた。西加奈子サラバ!の中下巻が欲しかった。成田空港の国内線乗り継ぎは2Fにあり、フードコート、コンビニ、本屋がアーチ状に並んでいる。「サラバ!」は直木賞を受賞している作品で、上巻を買ったのはその頃だった。買ってから延々と放置していたけれど、8年越しにようやく読んで、中下巻が早く読みたくなっていた。平積みでよく売れていたはずだから、どこの本屋にもあるだろうとたかを括っているところがあった。本屋は、そんなに大きくなく、小説、ビジネス書、雑誌、漫画、新書、などが2〜4棚ずつ、パラパラとあるくらいだった。出版社を調べたりすれば早かったのだが、広くはないし見つかるだろうと検索はしなかった。案の定、見つけた西加奈子の棚には、サラバ!は無かった。調べないからだ。そこにはなかったけれど、どこかには絶対にあるはずだという確信があった。店員さんに聞くことにした。レジに向かうと、何やら雑誌の在庫を聞いている背の高い女がいて、その彼氏であろう男が退屈そうに、レジの手前の棚の前で、携帯をいじっていた。背の高い女は、綺麗な格好をしていた、男は、手入れのされていない茶髪の髪に、皺のついたスウェットを着ていた。書店員さんは40代前後と思われるメガネをかけた女性だった。在庫はないようだった、女はありがとうございます、と言ったふうで頭を下げ、彼氏の方へ数歩歩くと、彼氏は素早く振り向き、二人は店を後にした。「本の在庫を聞きたいのですが」と、僕が続けて話しかけると、書店員は一瞬「またか」という表情を浮かべた。そこになければ、なければないんだと。若者が探すような雑誌や漫画は、なければないんだよと言いたそうだった(これはかなり偏った僕の妄想で、おそらくそんなことは微塵も考えていなかっただろう)。ダイソーよろしく、「そこになければないですね」と言えれば良いのだろうけれど、書店の場合、検索ができてしまう。ないだろうと思っても、聞かれてしまえば検索をしなくてはいけない。「西加奈子サラバ!なんですけれど」と僕が続けると途端、「あー!それなら」と表情が明るくなった。それは、西加奈子を「知っている」人の表情だった。僕は少し嬉しくなった。書店員は「たしかこっちに」と検索もせずに棚へ向かった。僕のみていた棚の背中側の棚に、別の出版社(分類?)の「西加奈子」の区切りがあり、そこにサラバは上中下巻が揃っていた。中巻だけ買うつもりだったのだが、そこまでの流れが嬉しくて、中下巻をまとめて買ってしまった。僕は熱しやすいのだった。

 

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遠征記 TOONICE編 2はこちら

https://syotaro-nakahara-gg.hatenablog.com/entry/2023/03/15/204137

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