思索記

ものを考える。詩。

「俺はダメだ」の逃避をやめよう

俺はダメだ

今日もダラダラしてしまった

 

やりたいこと、あるのかないのかわからなくなってくる、きっとやりたいことはあるし、自分と向き合ったときはアレしたい、コレしたいって思っていたんだ

 

だから、すぐにそれをすればいいだけなのに、それをしない俺はなんなんだ?

ジョーストラマーも言ってたらしいじゃないか、やるしかないって

 

自己啓発本や心理本、何冊読んだって全部同じ

don't think! Just do it!

結論はみんなこれなのに

 

わかっててもできない

全くダメ、ダメ人間

愚か極まりない

なにもできやしない

このまま何もできずに死ぬんだ

 

そんなこと考えてるくらいなら

いっそ寝てしまった方がいいはずなのに

そんなことを考えることに一生懸命になって

一向に眠りにつかないじゃないか

 

眠るなんて誰でもできることすら、一切できないなんて、やっぱり俺はダメなんだ

 

ああ、ああ、ああ、、、、、

 

と、ただただ悩み苦しむことは、全くもっていい事ない。

いい事ないんだから、やめましょうというお話

 

あまりに現実を苦しく思うとき、そこに真正面から挑んでは潰れてしまう時がある。

そんなときは、頭の中で現実をこねくりまわして、自分でストーリーを作ったり、なんだり理屈をこねて逃げるのはアリだ。しかしそれは悩むとは言わない。ユーモアで現実を立体交差して、乗り越えようという行為だ。

 

良いことないのに、なぜ悩むのか。結果論的だが、その訳は現実からの逃避だ。

 

往々にして、上記のように思い悩んでいるとき、そこに、立ち向かうと潰れるような現実はない。現実を見誤っているのだ。

(どのように見誤うのか、については「認知の歪み」を検索すれば出てくる。存在しない現実を妄想して作り上げること。たとえば、上記の悩み方に出てくる「〜は全部同じ」「全くダメ、ダメ人間」「誰でもできることすら一切できない」などは、“全か無か思考”と呼ばれる認知の歪みに起因する。現実には、「全く/完全に/一切〜だ」というものは存在し難い。

-複数の自己啓発本や心理本に通底する真理はたしかにあるかもしれないが、それぞれが全く同じにはならない。必ず違いがある。

-全くダメ人間、なんて人はいない。どんな人間にも、ダメな部分と良い部分が必ずある。人から褒められたことは一度もないか?人を助けてあげたいと思ったことは一度もないか?生まれてから今まで、本当にダメなこと以外したことがないのか?など問うてみればわかる。悪さばかりしていた不良にだって優しいところはあるし、真面目で努力家な人がダメなことをすることもある

-誰でもできることが一切できない?靴も履けないのか?顔も洗えない?服も着れないか?できることの方が多いじゃないか。

つまり、実際は

1日だらけて、それに悩んで眠れなかった

ただそれだけが現実だ。立ち向かえない現実じゃない。

全くのダメ人間じゃないし

誰でもできることが一切できないなんてこともないのだ。)

 

逃避やめよう。

その為には、現実をそのまま受け入れ、気持ちいいと感じることに従うことだ。

 

ダラダラするとき、気持ちいいか?

気持ちいいならダラダラすれば良い

ダラダラしちゃいけないなんて、誰が決めた?どこに書いてある?

 

自分を責めて思い悩むのは気持ちいいか?

気持ちいいならそうしていい

気持ち悪いなら、ほかに気持ちいいことをしよう

 

「そんなこと言ったって、ダラダラして、何もしない人間に、生きる意味はあるのか?自分の気持ちいいことばかりするなんて、社会じゃ通用しないよ。何もできるようにならないし、ダメになる一方じゃないか」

 

そんな反論が思い浮かぶだろうか。

答えておくと

ダラダラして何もしない人間にだって生きる意味はある。飯を食ってるなら、その飯を買うのに使ったお金は誰かが生きる為の収入になる。それだけでも十分に社会に貢献できている。

もっというと、生きる意味なんて必要か?

すべての人に共通する生きる意味なんか誰も正しく定義できない。生きる意味なんて必要ないし、必要なら個人が考えればいいのだ。

 

自分の気持ちいいことばかりする人間は何もできるようにならないというのも間違い。

気持ちいいことはどれだけやっても飽きない。飽きるときは気持ちよくならないとき。そしたらやめればいい。それを繰り返すうちに、どれだけやっても飽きないような気持ちいいことが見つかる。

そうすれば、何かしらの行動が継続される。

継続すればその行動は成熟し、むしろ人より優れたことができるようになる。

気持ちいいことをしていれば、精神が疲れない。精神が疲れなければ、身体は動いてくれる。

「ダラダラしちゃいけない。何かするべきだ」と考える方が、何をしても気持ちよくならないから、精神が疲れて、また思い悩んで苦しむハメになり、なにもできなくなるのだ。

 

つまり、気持ちいいことをしていれば

思い悩むことが少なくなり

様々な行動をする精神的エネルギーが得られる

そうして様々な気持ちいいことをしている間に、したいこと、できることがわかってくる

 

話がぐちゃぐちゃしてきたので改めてまとめると

①思い悩むのは結果的に逃避にしかならず、いいことない。気持ちよくない。

②思い悩むのをやめるには、

ⅰ)現実を正しく受け入れること(認知の歪みを学んで、誤った認識を改めること)

ⅱ)気持ちいいことをすること

ⅲ)気持ち悪いことはやめること

 

思い悩む/苦しむ/自分を責めてしまうときは、

現実を正しくみているか?

悩んでいる今は気持ちいいか?

を確認すること

 

気持ち良くないならすぐにやめて

気持ちいいことを考えること

そしてそれをすること

 

思い悩むのは気持ち良くないよ、いいことないよ

現実を冷静に見れるようになろうよ

気持ちいいことをとにかくやってみようよ

 

というお話でした

 

まとまりのないうちに書き始めたのでグチャグチャですが、書くことで僕の頭のなかでは徐々に体系立ってきました。

また改めてスッキリ、読者を意識した読みやすいものにまとめなおして投稿します

 

おやすみなさい